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人はなぜ生きるのかを哲学してみた

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「人はなぜ生きるのか」というのは物凄く重い問いですね。

これには、昔から哲学者や宗教家が取り組んできて、未だ答えが出ていないですし、これからも永遠に答えが出ないであろうと思います。なぜなら、10人いれば10通りの考え方があり、絶対的なものはないからです。

ただ、著名な哲学者とその一派、宗教を大成した教祖(その宗教その宗教で色んな呼び方があるのでしょうが)とその一派は同じ考え方を持っている訳です。そういう意味で、例えばある宗教を世界中の100%の人が信じるようになれば、それが絶対的なものと言えないことはないのかもしれません。

ただ、世の中を見渡すと、世界中の多くの人が信じている正統派の哲学や宗教もあれば、何だか怪しげでお金の臭いがプンプンする哲学や宗教まで色々ある訳です。信者が多い宗教はあれど、とても100%の信者を獲得する宗教や哲学は出てきそうにありません。というか、そんな世の中は怖くていやです。

こんな重い問いに対して、私なりの真理に到達したので、皆さんにお話ししたいと思います。何悟りを開いた仙人みたいなこと言ってんのという声が聞こえてきそうですが、とてもシンプルで、意外と多くの人に共感してもらえそうな気がしています。

1 人はなぜ生きるのかを教えてくれたのは犬だった

えっ?犬?人はなぜ生きるのかの話だよね?ふざけてんの?と思った方もいらっしゃると思います。でも、別にふざけている訳ではないのです。

みなさんが知っているあの犬です。犬が人がなぜ生きるかを教えてくれたのです。

うちには犬がいますが、私が帰ると部屋中飛び回って喜んでくれます。私が夜中家で仕事をしていると、寝床から出てきて、私の足元でうたた寝したりしています。こんな事されたら、かわいくて仕方ない訳です。

人はなぜ生きるかの話の前に、犬はなぜ生きるかの話を聞いてください。人は世界中に学校を建てて世の中に貢献するとか、お金を稼いで経済的自由を手に入れるとか色んなことを考えます。

でも、犬はそんな事考えていません。おいしそうなドッグフードが出てきたら凄い勢いで食べますし、スーパーで買ったまずそうなドッグフードが出てくれば臭いをかいで終わりです。さっき書いたように、嬉しければ部屋中飛び回りますし、眠いときはずっと寝ています。

つまり、犬はただ必死に生きているだけです。世界中に学校を建てて世の中に貢献するとか、お金を稼いで経済的自由を手に入れるとか思っていません。スーパーで買ったまずいドッグフードが出てきたときに、この間食べたニュージーランド産のおいしいドッグフードを食べたいと思うくらいです(私は犬ではないので分かりませんが、多分)。

2 人でも犬でも究極的な生きる目的は同じではないか

そして、そんな犬の姿を見ていて、ふと思ったのです。人でも犬でも同じ地球上の生物だよねと。

太古の昔の単細胞生物でも、犬でも、進化の最先端にいる人間でも、命を授かって生きていることには変わりないよねと。

だとすれば、生きる目的は同じなのではないかと思うのです。人間だから何か特別だと思っているのは、人間の思い上がりに過ぎない気がするのです。

もちろん、人間だから世界中に学校を建てて世の中に貢献するとか、お金を稼いで経済的自由を手に入れるとか考える訳で、そういう意味では人間は崇高な目的を持っているのだと思いますが、それは人によって何をしたいのかは違う訳で、もっと根源的な次元の話で言うと、人間だってただ必死に生きているだけだという事ができると思うのです。

自己啓発の本を読んだりすると、この世に生まれてきたあなたにはあなたにしかできない事があり、それを成し遂げるのがあなたの使命だみたいな事が書いてあったりしますが、そんな訳ありません(後で説明しますが、これは自己啓発の重要性を否定している訳ではないので念のため)。

生まれたいと思って生まれた訳ではなく、生を受けたから生まれたにすぎないから生まれただけの私たちに、生まれたときから成し遂げる使命なんてある訳ないのです。

3 私たちには生きる意味なんてない

そうなんです。私たちには生きる意味なんてないんです。

だって、私は生まれながらにして私にしかできない何かを成し遂げるために生まれたなんて思ってないですし、多分あなたもそうなんだと思うのです。

つまり、私たちが日々生きるのに特別な意味なんてないというのが結論です。

生きる意味がないと言うと、死んじゃっていいの?という話になると思うのですが、そうではありません。

犬は生きています。でも、崇高な目的を持って生きている訳ではありません。つまり、犬は生まれながらにしてその犬だけが成し遂げる目的なんて持って生まれてきていません。ただ毎日必死に生きています。その犬が死んじゃっていいのか?いい訳がありません。だって、毎日必死に生きている、ただ生きたいから生きている、それを否定する理由はないからです。

「意味がない」というのは難しい表現ですね。私が言っているのは、人間が生きる目的を崇高な目的に自動的に紐づける必然性を否定してるだけであって、生きる事そのものを否定している訳ではありません。むしろ毎日必死に生きる事を肯定している訳です。

つまり、毎日特別な意味などなく必死に生きる事が生物全般に言える必然なのだと思います。

もしあなたが辛くてどうしようもないと思っているなら、ただ必死に生きてください。世界的に見たら食べるものがなくて死んでしまう人がいるこの世の中で、日本では、食べるものがなくて死ぬなんて事はありません。アルバイトの生活だって、月1回叙々苑で焼肉を食べたいと思えば普通に食べる生活ができます。

4 辛いことがあってもも毎日必死に生きよう

私の言いたいことはこうです。「なぜ人は生きるのか」その問いに対する答えは、「特別な意味はないけど、生まれたから」という事になります。

そこから帰結するのは、例え辛いことがあっても、毎日必死に生きるのが生物としての必然という事です。単細胞生物でも、犬でも、人間でも、ただ毎日必死に生きるだけです。だから、辛いことはあっても、ただ必死に生きましょう。

単細胞生物はそれを食べようとする魚が来れば必死に逃げるでしょうし、犬も毎日まずいドッグフードしか食べさせてもらえなくても、ただ必死に生きます。

そこには崇高な目的も何もありません。辛い事があっても、嬉しい事があっても、ただただ生を全うする、ただそれだけです。

そして、毎日の生活の中に小さくても喜びはあるはずです。例えば、昨日までスーパーで買ったまずいドッグフードを食べていた犬が、ちょうどそのドッグフードが無くなって、先週通販で買ったニュージーランド産のおいしいドッグフードを食べさせてもらえるかもしれません。

5 自分なりの目標を持とう

さっきただ必死に生きる事が生物としての必然とか何とか言ってなかったっけ?と思ったあなた。

「生きる目的」はないのです、ただ必死に生きる、ただそれだけです。それは、先ほど書いた通りです。

でも、人生に彩りを与えるものとして、目標をもちましょうということです。本来の目的ではないけれど、あった方がよりいいのではないでしょうかという事です。

ホットドッグはそれはそれだけでもおいしいですが、ケチャップやマスタードで味付けした方がおいしいよね、という事です。

毎日必死に生きる事が生物としての根源であるけども、医者になって人の命を救いたいとか、一生分のお金を稼いで毎日好きな時間に起きてゆっくり過ごしたいとか、そんな目標があった方が張り合いがでるよねという事です。

自己啓発はこの人生に彩りを与えるスパイスの役割を果たしていると思うのです。でも、飽くまでもスパイス、これが生きる目的になる事はありません。

例えば百戦錬磨のプロ棋士がいたとして、将棋が自分の人生そのものだと語ったとします。でも、将棋は飽くまでもスパイスに過ぎません。例えばそのプロ棋士が脳梗塞で将棋を指す事ができなくなってしまったとしても、やっぱり生き続ける訳です。将棋が指せなくなっても、例えば田舎でのんびり過ごす生活に生きがいを見出して幸せに暮らすかもしれないし、タレントとして活躍することに生きがいを見出すかもしれません。

飽くまでも人はなぜ生きるのかと問われれば、その意味はない、ただ生まれたから生を全うするだけと答えます。ただ、彩りがあった方がいいよね、その方がいいのだとすれば、積極的に彩りのある人生にできるように考えて生きようねとも併せて伝えたいと思います。

別に彩りは絶対なければいけないものではありません。そう考えると楽になりませんか?