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偏見を持たないことよりも、偏見を自覚し改善し続ける姿勢が大事

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"彼は性暴力に対し、母親の愛情や関係性の問題だと本当に信じ込んでいるようだった。こんな人に「女の子はすごい!」とか言われてもうれしくない。そもそも評価をしようとしているのがおかしい。根っこには「母親が悪い」という発想があるのだと思った。私は勉強会の初めに自己紹介的に自分の中高生時代の体験(家族との関係はよくなかった)についても少し触れたので、私のことを「特殊な家庭で育った子」と思ったのかもしれない。
 人を差別していることに気づかず、偉そうに持論を展開するような大人や自分の権威性をアピールするような大人に出会うと、屈辱的な気持ちにさせられたり、心がえぐられる感じになる。"

imidasの連載記事「母親に何でも話せる子は性被害に遭わない?」より女子高生サポートセンターColaboの仁藤夢乃の文章を引用した。

「居場所のない高校生」や「搾取の対象になりやすい青少年」の問題に関わっている彼女は、先日自民党の一億総活躍推進本部「女性活躍・子育て・幼児教育プロジェクトチーム」の勉強会に呼ばれた。

この文章は、JKビジネスなどに搾取されていく子どもたちの現状について話をした際に、その後の対話にて赤枝議員に強烈な持論を展開された時の心情を綴った文章だ。

1 赤枝議員と仁藤さんの対話

会議が終わった後、赤枝議員が私のところにやって来て「なんか僕の言ってることおかしいかな?」と聞いてきたという。

しかしその態度は、「自分の考えが間違っているなら教えてほしい」というよりも、「君は分かっていないから教えてあげる」といった調子に感じられたとのこと。

 

議員「母親が愛情をかけないといけないと思うよ」


仁藤「いやあ、お母さんがいない子もいるしなと思って」

議員「父子家庭なら父親が母親役もしないといけないんだよ。母子家庭なら母親は父親役もする。それができないといけない」

仁藤「お母さんができないなら地域の人がやればいいですよね」

議員「家庭の中で家族がやらなきゃいけないんだよ」

 

(ここらへんで家族・母親信仰が垣間見える)

 

仁藤「でも、お母さんも仕事で忙しかったりしますよね」

議員「それでもせめて17時までには帰宅する。お母さんはそれができないと」

仁藤「それができるくらい女性の給料が上がればいいんですけど」

議員「そういう問題ではなくて、母とのコミュニケーションの問題だよ」

 

(議論崩壊。主張の押し通しへシフト)

 

仁藤「子どもとの時間を作りたくてもお金がなくて夜遅くまで働かないといけない人もいるんですよ」

議員「そんなことを言っているんじゃない」

仁藤「実際にそうやって働かないと生活していけない人もいるんですよ。背景に貧困や障害を抱えた親もいます」

議員「そんな特殊な事例を基準に考えちゃだめだよ」

 

(自らの経験への固執)

 

仁藤「特殊じゃなくなっていると思います。たくさんいますよ」

議員「そんなことはない」

仁藤「実際そういう現状があるんですよ」

議員「どんな家庭でもせめて1歳まではお母さんが面倒をみる。その後はどうしても難しいならよそに預けても仕方ないかもしれないが基本は家庭。お母さんとのコミュニケーションが大切」

 

(不毛なやり取りに気分が悪くなった仁藤さんはここで話を切り上げた)

 

2 偏見を自覚し改善し続ける姿勢が大事

時として私たちは無自覚の差別によって人を傷つけてしまう。

赤枝議員は産婦人科医として、何年も何人もの女性と向き合ってきた自負があるからこそ、自分の持論に自信があり、それゆえに周りが見えなくなってしまったのかもしれない。

目の前にいる20代の若い女性の意見が間違っていることを信じて疑わなかったのかもしれない。

自らの考え方が歪んでいるとはつゆほども考えなかったのかもしれない。

 

今回のように、議論するかのようではじめから自分の主張を曲げる気などもう等もなく、相手の意見に耳を傾けるつもりのない人と話す時ほど疲れる会話はない。

しかし赤枝議員ばかりを非難しているわけには行かない。

私たちは、いつだって誰だって偏見をもつ可能性を持っている。

完璧な想像力や共感力なんて誰も持ち合わせていないし、相手にそれらを求めれば際限がない。
差別も偏見も徹底的に無くそうとしたら、たった一つの判断にも神経すり減らしてしまうことだろう。

人の価値観は偏ったものだから、どうしたって差別や偏見の沼からは抜け出せない。


こと感情が絡む、政治や恋愛や家族といったテーマにおいては、お互いが偏見に溢れている。
自分は偏見なんて持っていないって思っている人こそ偏見に塗れてるものだ。

それ自体は仕方ないことだと思う。
科学や数学と異なり理論やエビデンスがあるわけでもないし、確固たるものは自身の経験以外に何もないのだから。
経験ベースで持論を展開するのは自然と言えるだろう。

 

だからこそ、私たちは自らが差別と偏見を持ちうる存在だと自覚しないといけない。

どんなに私たちが経験が豊富で教養があったとしても、目の前の人は別の世代の別の世界を生きてきた別の人であり、常識が異なる可能性を考慮すべきなんだ。

議論を通して自分の考えを見直したり、常に自分の考えを疑って、改善していく姿勢、それらはいくつになっても忘れないようにしたい。