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なぜ人はこんなにも家系ラーメンの虜になってしまうのか

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「武蔵屋」

かつてこれまでに人々の心を揺さぶるラーメン屋があっただろうか。
私は武蔵家のファンである。いや、ファンという言葉では足りないくらいかもしれない。ファンという言葉を超えてもはや武蔵家は私の人生であり、私は武蔵屋からできてると言っても過言ではない。

「あなたの体はあなたの食べたものでできていると」いう言葉があるがその言葉に則って言うならば、私は武蔵家である。武蔵家が生んだ武蔵家であるということが言えるだろう。私はそのぐらい武蔵家が好きである。

家系ラーメンはここ最近において、というより5年ぐらい前から流行りだしたようなイメージがあるが、なぜここまで我々の心をそそるのだろうか。なぜここまで我々は家系ラーメンにはまってしまうのだろうか、それを考えてみたい。
 

1 体に悪い

 

人間は体に悪いものが好きである。体に良いものなどより、ずっと体に悪いものが好きである。
よく意識高い人が体にいいからといってスムージーを飲んだりよくわからない謎のカタカナの食べ物を体に入れているがおそらく苦痛であるに違いない。体に悪いものを摂ることこそが我々にとって、大きな喜びであり、それが全てである。

体にいいものを食べている人は無理をしてつらい思いをしながら、それを摂取している。スムージーを飲んでいるOLはきっと毎朝泣いているに違いない。でも痩せたいから泣きながら飲んでいるのである。(ちなみにフルーツを多く含むスムージーはむしろ太る。でも気付かない、だってOLだから。)

体に良いものなど美味しくないのだ。
家系ラーメンの多くはたっぷりの脂質、炭水化物を含んでいる。これが非常に体に悪い、確実に太る。しかしだからこそ美味しいのである

人間は古来から生きていくために大量の栄養を必要とした。脂質・糖分・タンパク質など多くの栄養が必要だったのである。
その中で手っ取り早く栄養補給することができる脂質や糖分に対して非常に大きな喜びを感じるようにできている。太るというような体に悪い行為は生物としての本能として生きるために必要なようにできているのである。

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2 どこにでもある

 

 

実は、家系ラーメンはどこにでもある。どこを探しても家系ラーメンがある。どこの駅に行っても家系ラーメンがあると言えるだろう。
つまりそれだけ人気があるということ、そして我々の生活に馴染んでいるということは間違いないだろう。

そして。私が毎日家系ラーメンを食べてしまう理由はそこに家系ラーメンがあるからである。
「山がそこにあるから登った」という登山家がいるがもし山がそこになかったら登らないはずだ。山があるから登るのであって、我々も家系ラーメンがそこにあったから食べただけだ。そこにあるということは非常に大きな魅力であり、そこにあることによって我々はついつい食べてしまう。そこにあるからたまたま食べているだけなのである。

3 何にでも合う

 

上の画像見て頂きたい。
まるで鍋をするのだろうかというような光景だ。家系ラーメンは何でも合う、鍋も何でも合う。鍋に何を入れてもだいたい合う。もちろんあんことかを入れたりとかしたら美味しくないが、大体のものはもやしだって、白菜だって、春菊だって、ワンタンだって、なんだって合うのである。

これは鍋の懐の広さが故に許されたことであろう。家系ラーメンも同じである。家系ラーメンも非常に懐が広い。
非常に懐が広く、どんなものでもあのスープに合わないものは果たしてあるのだろうかというくらい合う。白米だって家系ラーメンのスープに染まれば急激に中毒性の高い一品になる。ほうれん草を入れればこんなに栄養にたっぷりなものはない。ほうれん草を入れれば、すぐさま私もベジタリアンに早変わりだ。

家系ラーメンは、あのスープは、どんなものにでも合う。
それが最大の魅力であり、何にでも合うからこそのバリエーションの豊富さが私を飽きさせない。気づいたら家系ラーメンへ足を運んでいるのである。